明治十四年八月、樺戸集治監(後に樺戸監獄と改称)が月形町に設置されてから、大正八年の廃監までの三十九年間に、病気、事故等のため更生の夢空しく死んでいった囚人の数は千四十六名におよぶ。【写真帖】滿洲概觀 2594年版 南滿洲鐵道株式會社總務部庶務課 編輯 南滿洲鐵道株式會社 発行 昭和9年3月 少々イタミ・シミあり。そして、肉身に遺体を引きとられた者は僅か二十四名に過ぎず、残る千二十二名は永遠に無縁仏となって侘しく囚人墓地に眠っている。Michael Wolf Tokyo Compression Revisited 2011年 マイケル・ウルフ。
今、墓地には名も知れぬ草花が彼等の霊を慰めるかの如く咲き乱れている。【美品】青山 裕企「少女礼讃」I, II, III ( 3冊 セット)。
想えば遠く明治十年の西南の役、又明治十七年の自由自治元年を旗印に農民が決起した秩父事件、そして加波山、群馬、静岡事件等の自由民権運動の闘士達が国事犯として投獄されていた樺戸集治監の所在地であった月形町。大判写真集 中国 1868-1872 China Through the Lens of John Thomson vbcc。この町に焦点をあて撮影を続けてこられたのが写真家の高野荘次郎先生であった。真継不二夫写真集2冊/海軍兵学校・江田島健児の記録・井上成美文/学徒出陣・海軍予備学生の記録/兵学校の伝統の姿をとらえていまなお胸うつ。先生は十年前から月形町に足しげく通われ、囚人の建てた北漸寺、円福寺、見返りの楡、囚人の植栽した杉林、そして慰霊祭、北海道行刑資料館、各種行刊資料等を撮影され、それらを今、一冊の写真集としてまとめられた。文庫本 写真集 全日本学生写真連盟「状況1966」福島辰夫 金子隆一 検索記号 東松照明 Shomei Tomatsu。